_ゲド戦記(Fantasy
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突発!映画に突っ込もう☆企画
(映画未見の方はご注意!)
突発!映画に突っ込もう☆企画(その4)
その3>


これからはペースを上げて(というか、細かい突っ込みはなるたけ省いて)どんどん突っ込ませていただきます!
(もたもたしてると、ゲドの公開期間を大幅に越えてしまう事に…!つか、せめてDVD発売前には終わらせたいっ!)

ということで、ここは簡単に。
とりあえず、このシーンを入れてしまいましたのは。
この逃亡シーン、すごく迫力があって、音楽もいい感じだったんですが、2つばかり不満点が!
1)上の絵でも矢印で図解してみましたが、手前のアレンから画面奥に移動してゆく場面でもあるんですが、その動きがちょおっと荒かった…! このシーンって、ジブリお得のアクションの見せ場の一つのはずなのに、あの、セルの数が今までのジブリ映画と比べたら、いかにも少ないものかが分かってしまうような平行移動は、めっちゃ勿体なかったです…orz
2)足跡が……アレンの乗っている馬のひずめの後も、追いかける狼達の足跡も、砂漠の砂の上にどちらもついていないのが残念というか、ジブリらしくないというか。砂の上の足跡は、ジブリではよく見かける演出ですし、こういう細かいところまで行き届いた緻密さを感じさせるのが、ジブリアニメの特徴の一つかと思うんですが…どうです?

などと、ずらずらマジ突っ込みを書いてみましたが。
昔のアニメなんて、もっとずっと荒い動きをしてましたけど、それでも違和感なんて感じなかったし。
「ジブリアニメ」という括りに拘らなければ、これもありかなーなんて思ったりもするわけです。はい。

お久しぶりです!
今日から再開の運びとなりました当企画。チャキチャキと進めてまいりたいと思います☆

というわけで。
上からの流れということで、狼に襲われたシーンで。
あの、映画の迫力には遠く及んでませんが、とりあえず、馬の愛らしさとアレンの幼顔にびっくらこいたわけでして。
いやだってねぇ。「アレンはもう17」って王妃さまがいってたし、ポスターや番宣なんかを見てたら、もうちょっと大人っぽいイメージを持ってたので、「え?」って思ったわけでして。(この驚きはさらに次のシーンでヒートアップ)
そして、馬。
もののけ姫の「ヤックル」に似ていながら(よく見ると似ていないです)、ジブリの動物脇役キャラには珍しく、名前が無いこの馬。
しいて上げれば「アレンの馬」(@テナー)と呼ばれていたこの子がめっちゃ可愛かったんですが。
耳の側を掻き掻きしてあげると、首を伸ばしてフンフンする仕草とか。自称馬好き、そしてリャマ好きとしてはたまりませんでしたとも!
ちなみにこの子のモデルとなったのは、こんな動物でございます。

リャマアップ
ああ失敗! こんな顔だけじゃ分からんってば…

ホント、実物はすっごく可愛いので、ぜひぜひ機会があったら動物園等でご覧になって下さい☆
そうそう。このリャマって基本は運搬用で、人は乗せないんです。この動物にラバ(馬とロバのミックス)の要素を取り入れたのが、アレンの馬じゃないかと思うわけです、はい。

本当は、この前の馬から転げ落ちて剣を構えてフーフーしているシーンを描きたかったんですが、時間短縮で。
(余裕があったら後ほど付け足したい!)
上からの流れですが、この狼に襲われてからゲドに拾われるまでの一連のシーンがすごく好きだったりします。

でで。
狂気にかられた表情で剣を構えてから、その剣を持つ手が震えて、そして剣から手を離して。
きっとこの一連の動作の間に、闇に捕われたもう1人の自分を懸命に押さえ込んだんじゃないかと。そう感じました。
狂気のあまり、邪魔をする者は全て葬り去ってしまう、恐ろしい殺戮者。
いくら正気を失っていたとはいえ、愛する父さえも手にかけてしまった自分。
狼の群れを前にして「お前達が、僕の死か」と呟いたのは、これ以上、生きていても無駄な殺生を重ねてしまう己を、死を持って罰しようとしているようにも感じられて。
それでも辛そうに目を閉じる辺りが、諦念しながらも、死に怯える少年らしい弱さも感じられて。
初めて映画を見た時なんてストーリーを追うのに精一杯で、どの辺りからアレンに惹かれたのかよくわからなかったんですが、後から振り返ると、すでにこの辺りからアレンの持つ痛々しいまでの魅力に取りつかれていたみたいです。(ぎゃふん!)

上のシーンから続けて。
目を閉じた時は「ああ、死を受け入れようとしているんだな…」と思ったんですが。
その後の、歪んだ表情に、かっと目を見開いたシーンで。
本当は、アレンはとても怖がっているんだと、死を恐れているんだって気づかされました。
この、死への恐怖があとのストーリー展開へと繋がってゆくんだと思います。

そうそう、上では「罪として死を受け入れようとしている」と書いたんですが。
それよりも、自分のしでかしたことに怯え、どうすればよいのか全く思いつかず、ただただ逃げることしかできない現状に疲れ果てていたようにも感じられたり。
そんな風に思ったのも、このアレンというキャラの根本に「千と千尋」の千尋にも提示された「何事にも無気力で、生きる力を失ったような現代の若者」という設定が敷かれているじゃないかと、密かに思っているからでして。はい。
本当に、罪を悔いて死を受け入れるつもりならば、自殺をする方法もあるのに、どうやらそういった気力もないようですし。
とにかくいろんなものから背を向けて、目的もなく、ひたすら犯した罪やその責任、そして影や死の恐怖といったものに震えながら逃げ惑っていた状態だったんだと。そう解釈しているわけです。

狼から救ってくれたゲドに対して見せた表情。
内にひそむ狂気をハッキリと見せてくれた最初のシーンですよね。(その前の狼との対峙では、ちょっと気張りすぎた表情にも見えるし)

ところでこの描き方だと、アレンは「解離性同一性障害」(多重人格)の気があるんじゃないかと。
原作には全くそんな設定はありませんし、根がファンタジーでもありますし、映画としてもどこまでそういう現実的な部分を意識しているのかは分からないんですが、どうもこの、目がイッちゃって顔つきも完全に変わって、性格まで凶暴化してしまうアレンはどうみても別人格じゃないかと。
うーーーん……ファンタジーに「ビリー・ミリガン」ですか。
あまり詳しいことは言えないんですが、確か「解離性同一性障害」を発症してしまう人の多くは、子供時代の、忘れたい、記憶から消し去りたい、強烈なトラウマが関係しているようなんです。それがアレンの身にも起きていた……?
まぁ、上でも突っ込んでみたんですが、どうもこの映画は現代的な要素をかなり意識して盛り込んでいるようなので、そういう設定もアリかなっと。逆にその辺りを突っ込んで妄想してみるのも面白いかも。

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